2010年04月07日

「ギャップ・イヤー」を選べなかったあの頃のことを思い出した

茂木健一郎 クオリア日記: ギャップ・イヤー

4月1日付けの日記なので、ひょっとすると「エイプリルフール」かもしれないけど、気になる内容だったので。

大学を出た後の「ギャップイヤー」旅行で日本に来てた外国人青年と出会った話。

日本では、大学の三年から就職活動をして、それで就職できないと企業がとってくれない。「新卒」で就職するために、わざわざ留年する人もいる。そもそも、女子学生で、就職活動をしている人はすぐにわかるんだよ。みな同じ格好をしているから。別に、法律で決まっているわけではない。なぜか、すべての企業が同じふるまいをしているんだ。日本人は、みな一斉に事をやるのが好きなんでね。それで、学生がそれに合わせる。もっとも、そんな画一主義はイヤだ、とドロップアウトするやつもいるけど。個人的には、そういうやつにこそ、新しい日本を作ってもらいたいと思う。ところが、マスコミがまたクズで、あたかも、新卒でいっせいに企業に就職することが、当然だ、というような報じ方をするし。それが、偽りの社会的プレッシャーとなって・・・

 そんなことを説明しようと思ったけれども、自分の愛する国の恥を、この真剣な顔をした青年にさらすのは、はばかられた。

(僕ならまんま説明しちゃうな…)

と思った。

僕自身、修士2年の就職活動がうまくいかず、大学院を留年した(≒卒業を1年遅らせた)経験がある。
大学に残った理由としては、就職と進学の間で迷っていた、研究内容をもう少し形あるものに仕上げたかった、など幾つかある。

でも、卒業に必要な単位は足りていたにも関わらず、ひとまず修士課程を卒業して研究生として大学に残って…ではなく、「留年」という形を選んだのは、就職活動への影響を考慮した結果だった。

時は90年代後半。就職氷河期と呼ばれている時代だった。

学生を取り巻く環境は今と必ずしも同じではないかもしれないが、当時も「在学中の就職活動に失敗するとその後の進路ヤバイかも」というプレッシャーはかなり強く感じていたように思う。

日本は素晴らしい国だと思う一方で、「自分がもし今学生で、就職を考えていたら」と考えると、深い絶望にとらわれる。

「えり好みしなきゃ入れる会社はあるだろ?」
「そんなに嫌なら日本企業じゃなくて海外行けば?」
「じゃなければ自分で企業すれば?」

というのが社会の声なのだろうか?

赤塚不二夫のマンガで、飼い犬が野良犬に、「こんな首輪がなければもっと自由に歩きたいんだ」と言うのがあった。ところが、飼い犬は、首輪がとれてしまうと、慌てて自分でもとに戻すのである。

僕にも首輪がついているのだろうか。
僕も首輪が取れたら元に戻そうとしてしまうのだろうか。
あるいは、別の首輪を求めてしまうのだろうか。

今の僕は自由に歩けるのだろうか。

Posted by hide at 23:02 | Comments (0) | TrackBack